No.40「Silk-75」

独自の抽象世界を確立

今回は東葛クリニック病院本館の外来ラウンジに展示されています緻密な幾何学模様の作品をご紹介いたします。
作者は洋画家のオノサト・トシノブ(小野里 利信 1912〜1986)です。長野県飯田市に生まれ、高校教師の父親の仕事に伴い群馬県桐生市に移り、1931年に津田青楓洋画塾に学びます。1935年二科展に初入選、同年、黒色洋画展を結成、銀座で発表展を行います。


1936年に、コレクターで評論家でもある久保貞次郎と知り合い、1937年前衛諸派を統合した自由美術協会の設立に参加、1940年に制作した「黒白の丸」は当時、日本ではあまり見られなかった厳格な構成主義作品として注目されました。


1941年に応召、シベリア抑留を経て1948年に復員し、帰国後は戦前の仕事を土台にした純粋抽象絵画を追求していきます。1951年に田口智子(後の画家オノサト・トモコ)と結婚、この頃からオノサト・トシノブと表記するようになります。


1953年に初の個展を開催し、1963年にワシントンの画廊でも個展を開催、1964年グッゲンハイム美術賞展、ベネツィアビエンナーレ展に出品、1965年ニューヨーク近代美術館の「日本の新しい絵画と彫刻」展に出品するなど、国際的にも活躍、高い評価を受けています。


オノサトは、この時代に世界的に新しい絵画の一つの流れとなっていたオプティカルアート(オプアートともいい、知覚心理学的な錯視メカニズムにより、視覚的な効果を与えるように考えられた絵画)の中にあって、独自の世界を確立していきました。ちなみに本院には、オプアートの代表的な作家、ビクトール・ヴァザレやヤコブ・アガムの作品も展示されています。


1985年東京・五反田にオノサトギャラリーを開設し、発表の場にするも、1986年に急性肺炎のため自宅で死去、享年74歳でした。その後、妻のオノサト・トモコにより、桐生市にオノサト・トシノブ美術館が設立されましたが、現在は休館中です。 (参考資料:日本美術家事典、ウィキペディア)


作品解説:
彫刻家望月 菊麿