作品名: | 「梟雄(きょうゆう)」 |
制作者: | 彦坂 尚嘉 |
略歴: | 1946年東京都生まれ。多摩美術大学絵画部油彩科中退。在学中、美術家共闘会議を結成。大学の体制のみならず、当時の日本美術界のありようを厳しく批判して、ラジカルな変革運動を展開した。数々の思索と実験を経て、70年代後半から形やサイズの違う縦長の木箱をくっつけ合わせた凹凸のある画面を、ジグザグの線で囲まれた色彩図形群で覆う”ウッド・ペインティング”シリーズを開始。その独創性が高く評価され、パリ(75年)、ベネチア(82年)、サンパウロ(87年)と、それぞれの地で2年ごとに開催されている著名なビエンナーレ(国際美術展)に、日本を代表する一人として出品した経歴を持つ。 |
いうまでもないことですが、絵画はそもそもから平らで、持ち運びのできるカンバスに描かれていたわけではありません。スペインのアルタミラやフランスのラスコーの洞窟画のように、起伏の激しい洞窟の壁に描かれたのが最初ですし、文明が進んでから後も、たとえばドーム状の建物の円天井や陶器の曲面に代表されるように、生活空間の中の平坦でない部分をそのステージとしていました。画家たちが初めてカンバスを使い始めたのは、15世紀のイタリアからですから、気の遠くなるほど長い人類史を思えば、その歴史はたかだか500年程度のものなのです。絵画の変革をめざした彦坂が、あえてカンバスでなく、複数の木箱で作った凹凸のある画面に描いたのも、絵画をもう一度その起源に遡って考え直したかったからではないでしょうか。
病院の2階にある手術室の入口に展示されている「梟雄」は、絵画ではなくシルクスクリーンで刷られた版画です。でも、この作品によって彦坂の”ウッド・ペインティング”(でこぼこの木箱の画面に描かれた世界)が、どんなものかをおよそ知ることができます。彦坂は任意の2点を線で結ぶという機械的な手法を重ねて描くのですが、そこから揺らめく火炎とも踊る群像ともつかないような独特の図柄が生まれました。とりわけ赤が多用されているため、画面は活気に満ちた熱情的なイメージを誘ってやみません。ちなみに「梟雄」は「きょうゆう」と読み、残忍で勇猛な武将や悪党の頭などを指し、古典の戦記物語などでよくお目にかかる言葉です。
美術ジャーナリスト 三田 晴夫