作品名: | 「空路 1987-B」(上)、「空路 1988-B」(下) |
制作者: | 清塚 紀子(きよづか のりこ) |
略歴: | 1940年旧満州生まれ。東京芸大卒。同大学院修了。在学中から版画研究室助手時代まで小磯良平、駒井哲郎の指導を受け、早くから油彩画や銅版画を制作発表する。新制作展や日本版画協会展で頭角を現し、銅版画作品で1976年に現代日本美術展の東京国立近代美術館賞、1984年に日本国際美術展の和歌山県立近代美術館賞を受賞するなど輝かしい実績を積み重ねた。その作品には、人物や風景の記憶をモチーフとした具象的傾向、鉛箔を組み合わせた抽象的傾向という対照的な二つのタイプがあり、モダンで清新な表現には定評がある。作品は東京国立近代美術館をはじめ栃木県立美術館、和歌山県立近代美術館、北九州市立美術館などに収蔵。個展やグループ展を重ねる一方、新聞連載小説の挿絵でも卓越した手腕を発揮した。現代版画界をリードする実力派の一人として国内外で活躍を続ける一方、愛知県立芸大教授(退官)として若手の指導育成にもあたった。 |
ある美術関係者から聞いた話ですが、現代でも版画といえば、まだまだタブロー(本画)の複製画として軽んじる傾向が根強いのだそうです。たしかに高価で入手しにくいタブローの代わりに、同じような絵柄の比較的安価な複製版画が世間で広く受け入れられてきました。しかし、そのことが逆に「版画はオリジナルではない」などの、とんでもない誤解や偏見を助長したのではないかというわけです。なぜ誤解や偏見と言い切れるかといえば、現代の版画にあっては、タブローの複製画とはまるでちがう独創的な表現が次々と生まれているからにほかなりません。
その中でも鉛箔を駆使した清塚の銅版画ほど、鮮烈な衝撃を与えたものもなかったでしょう。すでに1970年代末期に彼女は鉛箔を画面に取り入れていましたが、それが特異なトレードマークとなるほどに爆発的な展開を遂げたのは、1980年代中頃からでした。銀色の光沢をたたえた鉛の硬質な肌合いといい、純化された大胆極まる抽象的な構成といい、それまでの人物像などが織り成す幻想的イメージに親しんでいた清塚ファンも、さぞや目を丸くしたのではないしょうか。
けれども鉛箔の導入は、たんなる常識破りには終わらない新鮮な感動を呼び起こしました。東葛クリニック病院1階にある「空路 1987-B」と「空路 1988-B」の2点も、文句なしの傑作です。鮮やかな青の領域と銀色光をたたえた鉛箔の領域が組み合わさって、視界がさあっと切り開かれるような心地。それは飛行機の窓から眺めた青空と、ジュラルミンの機翼の残像がつむぎ出した風景なのかもしれません。画面構成は見事に決まっていますし、秋葉原で買い集めた部品類をハンダ付けして、リズミカルな変化やメリハリを与えた発想とセンスにも感嘆させられます。
美術ジャーナリスト 三田 晴夫